昨今の街中では、ワンボックスやミニバンをとても多く見るようになり、観光地や商業施設に行ってもセダンタイプの車はあまり見かけなくなりました。
荷物も人も乗せられて広い快適な車内空間がある車は、実用性にもレジャー性にも長けているので人気なのです。
しかしトヨタのみならず日本を代表する自動車のひとつであり、トヨタの中で最も古い歴史を持つセダンタイプの車が現在でも不動の人気なのを知っていますか?
その名は「クラウン」。
1955年に発売された初代は日本の純国産設計車として登場し、トヨタの量販車種の中でも最上級モデルの地位を現在まで担っている車です。
そして「いつかはクラウン」というキャッチコピーにもあるように、高級車としての認知度がすごく高い車でもあります。
さらに先代まではセダンタイプのみが販売されていましたが、2022年に発売された16代目新型クラウンはセダンタイプだけではありません。
若い世代から年配の方まで、誰が選んでもその人にピッタリな車を見つけられるよう4種類のラインナップで登場したのです。
2024年春、現在では「クロスオーバー」と「スポーツ」の2種類のタイプが既に皆さんの前にお披露目済み。
あとの2種類もこれから順次、お披露目予定です。
そこでこの記事では、既に発売されている「クロスオーバー」と「スポーツ」タイプの2種類のトランクの寸法や特徴をお伝えします。
またセダン型が少なくなってきた現代でも高級車としての威厳を保ち、根強い人気のクラウンを世界のトヨタの歴史と共に深堀りしていきますので、歴史的目線からもクラウンの良さが理解できますよ。
さらに世界のトヨタの誕生から現在までを知ることの出来る、オススメの施設も紹介していますので、そちらも楽しみにご覧くださいね。
Contents
トヨタが誇る、クラウン
あの「世界のトヨタ」の始まりは自動車会社ではない...と言うことを皆さんはご存知でしたか?
また、トヨタと言えば愛知県豊田市を思い浮かべる方が多いと思いますが、トヨタ自動車の創始者である豊田佐吉氏は、静岡県湖西市出身です。
日本が「世界に誇るクラウン」をこの世に送り出した、トヨタの歴史を紐解いてみると色々と興味深いことがありそうなので、まずはトヨタの歴史から見ていきましょう。
どうやらクラウン誕生の裏には、感動的な物語が隠れているみたいです…。
トヨタの歴史
時は1867年。幕末と言われる時代背景で、徳川家最後の将軍「徳川慶喜」が大政奉還を行ったことにより、明治政府が誕生した年です。
こんな大きな変貌を遂げた時代背景の中、トヨタの歴史は、静岡県湖西市の農家の長男として「豊田佐吉」が生まれたことに始まります。
この方がトヨタの創始者である豊田佐吉氏です。
そして「豊田」の名前が付いた記念すべき第一号は自動車ではなく、木製人力織機なんです。
「豊田式木製人力織機」です。
豊田佐吉氏、24歳の時の事でした。
創始者である豊田佐吉氏は紡績会社へ就職したことや「専売特許条例」の法律ができたこと、村の農家で使われていた手機(てばた)に興味を持ったこと、人の役に立つ発明に一生を捧げる決意などいろんなことが重なり織機の発明や開発に人生の全てをかけました。
では自動車で有名になった「世界のトヨタ」はどうやって生まれたのか。
それは1894年に誕生した佐吉氏の長男である、豊田喜一郎がトヨタ自動車の創業者なのです。
喜一郎氏は豊田紡織に入社したおりに、1929年~1930年4月まで欧米出張をしました。
その際に目にした自動車産業が将来大きく発展すると考え、豊田自動織機製作所内に「自動車制作部門」を新設したことに始まるのです。
写真は豊田自動織機製作所自動車部が1935年(昭和10年)に試作した「A1型」を改良し、1936年(昭和11年)に完成させた同社初の量産乗用車「AA型乗用車」です。
その後喜一郎は、父親譲りの発明家気質を受け継いでかアメリカやヨーロッパの車を真似したものではなく、純国産自動車を作ろう!と研究や開発を進めていくことになります。
ですが1952年3月、喜一郎氏は脳溢血のため57歳という若さでこの世を去りました。
しかし彼が携わった最後のエンジンが、この後のトヨタの自動車の大躍進のきっかけとなったのです。
新しい乗用車の開発開始後、すぐに彼は他界してしまいましたが、その意思を継ぐ開発陣によってプロジェクトは継続され、R型エンジンとRHシャシーの新型車がとうとう完成するのです。
彼の死から2年半年以上が経っていました。
1955年1月1日、喜一郎が最後に携わった自動車が発表されます。
その名も「トヨペット クラウン」。
喜一郎氏はこの世を去る前に、この新しい自動車に名前を残していたのです。
「クラウン」とは英語で王冠👑の意味。
「国産車を常にリードし続ける王座のしるし」という意味が込められている。
喜一郎氏がどんな思いで、どんな覚悟で新しい乗用車の開発に取り組んだのか「クラウン」という名前が彼の気持ちを代弁しているように思えますよね。
そしてクラウンは誕生以降、その名に恥じぬ存在感で約70年にわたる長い間、高級車として憧れられ、なおかつユーザーに慕われています。
2024年の現在で16代目となるクラウンは、これからもきっとその歴史を自ら塗り替えていくのでしょう。
豊田喜一郎氏の熱い想いと一緒に…。
トヨタ自動車の歴史を、かいつまんでご紹介させていただきました。
「えっ⁉そうだったの?」と驚かれることや、豊田親子の残してくれた偉業に感謝したくなってしまいます。
ここまで読んでもっと深くトヨタの色々を知りたい!と思った方は、ぜひこちらの施設を訪れることをオススメします。
私も2回ほど足を運ばせてもらいましたが、見応えも感動もすごいです。
ゆっくりじっくりと見たり体験したりして周ると、とても1日では回りきることが出来ないので、また行きたいなと思っています。
クラウンの歴史
戦後初の本格的な国産乗用車であり、トヨタが日本の…いえ世界のナンバー1メーカーとなる大きな1歩を築いたと言われる初代クラウン。
ここまでそんなクラウンを誕生させたトヨタの歴史を見てきましたが、クラウンの歴史も見てみましょう。
誕生から約70年、現在16代目のクラウンをザっと年表で振り返ってみます。
クラウン誕生~現在のクラウンまでを見てみよう!
年代 | 特徴・特筆すべき事柄 | |
初代トヨペットクラウン
1955~1962年 |
・1955年1月、トヨタの独自技術のみで作った初代クラウン登場。 ・「日本人の手で、純国産車を作る」という、豊田喜一郎氏が掲げた夢にたくさんの技術者が開発に携わる。 ・観音開きのドアが特徴で「観音開きのクラウン」と呼ばれる。 |
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2代目クラウン
1962~1967年 |
・日本のカーライフや道路事情に合わせて設計やデザインが一新。 ・世界的に流行していたボンネットとトランクがフラットな「フラットデッキスタイル」や4灯式のヘッドライトなど、近代的なスタイルに変化。 ・2代目からクラウンのトレードマーク「王冠エンブレム」も採用。 |
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3代目クラウン
1967~1971年 |
・白いボディカラーが解禁され「白いクラウン」として発売。 ・自家用車として憧れの的になり「自家用車=クラウン」というイメージが定着。 |
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4代目クラウン
1971~1974年 |
・車体が丸みを帯びたエレガントなフォルムへと変わる。 ・そのフォルムから「くじら」の愛称で呼ばれる。 ・車名が「トヨペット クラウン」から「クラウン」に変更。 |
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5代目クラウン
1974~1979年 |
・初代クラウン発売から20年の節目に発表。 ・うたい文句は「美しい日本のクラウン」 ・最上級グレード「ロイヤルサルーン」登場。 |
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6代目クラウン
1979~1983年 |
・「新しい時代を開く伝統の最高級車」をモットーに登場。 ・当時の最先端の機能が搭載されており、話題に。 ・迫力のあるフロントマスクから「鬼クラ」と呼ばれる。 |
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7代目クラウン
1983~1987年
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・「いつかはクラウン」という有名なキャッチコピーと共に登場。 | |
8代目クラウン
1987~1991年 |
・「いつかはクラウンに。その想い、今こそ…」というキャッチフレーズから「いつクラ」という愛称で親しまれる。 ・「世界が認めるトップレベルの高級乗用車」を目指し、最先端のハイテク技術を意欲的に搭載。 |
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9代目クラウン
1991~1995年 |
・バブル経済崩壊直前の世の中。 ・「威厳」という名のクラウン新モデル「マジェスタ」登場。 |
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10代目クラウン
1995~1999年 |
・「走る」という運動性能を見つめ、車を走らせる時のフィーリングや室内空間の快適さを重視。 ・4WDもラインナップされる。 |
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11代目クラウン
1999~2003年 |
・「21世紀へ。このクラウンで行く。」という印象的なキャッチフレーズで発表される。 ・若い世代向け「アスリート・シリーズ」、世界で初めて「マイルドハイブリッドシステム」が搭載され、世界中から高く評価される。 |
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12代目クラウン
2003~2008年 |
・歴代クラウンの中でも人気の高いモデル。 ・「ゼロクラウン」の名で親しまれる。 ・王冠エンブレムの書体もこの12代目から変更される。 |
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13代目クラウン
2008~2012年 |
・13代目から「ハイブリッド」モデルが登場。 ・先代のイメージを残しつつ、曲線の中にシャープさを取り入れたデザインが特徴。 |
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14代目クラウン
2012~2018年 |
・「CROWN Re BORN」というキャッチコピー通り、一目で新型クラウンとわかる個性と躍動感に満ちたデザインが特徴。 ・エンジンも8速に多段化。 ・「ピンク・クラウン」を初め、「茜色」「空色」「若草色」など歴代には珍しいボディカラーが人気を集める。 |
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15代目クラウン
2018~2022年 |
・「走る・曲がる・止まる」の根本を見直すため、過酷なサーキットとして有名なドイツの「ニュルブルクリンクで鍛え上げられる。 ・歴代史上「最もスポーティなクラウン」として、若年層からも高い支持を集める。 |
そして、いよいよ16代目クラウンへ…。
16代目新型クラウン 2022年~
16代目クラウンの最も大きな特徴は、4種類のバリエーション。
クーペSUVテイスト「クロスオーバー」
スポーティなハッチバックスタイル「スポーツ」
スタンダードSUV「エステート」
王道ながら新しいフォーマルの姿を追及「セダン」
当初は現行型クラウンのマイナーチェンジが計画されていたが、「このままでクラウンはいいのか?」との豊田社長の問いに開発者たちが応えた、新クラウン。
「乗るとしっかりクラウン」との社長の太鼓判が押されているが、その答えを…そしてその価値を世に問う。
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クラウンのスポーティモデル「アスリート」のインテリアや魅力を紹介
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クラウンのトランクに荷物はどれくらい入る?
2022年に16代目クラウンの4つのバリエーションが発表され、2024年春までに「クロスオーバー」と「クラウン・スポーツ」の2種類が発売されています。
昨今はミニバンなどの荷物も人もたくさん運べる車が人気で、使い勝手などを考えるとやはり荷物の積載量は気になります。
ですので、今現在発売されている「クロスオーバー」と「クラウン・スポーツ」の2種類のトランクの寸法と、トランクにはどれくらいの荷物が積めるのかをゴルフバッグで見ていきたいと思います。
まずは新型クラウンで一番最初に発売された「クロスオーバー」から見ていきましょう。
クラウン・クロスオーバー
まず新型クラウン・クロスオーバーのボディサイズを見ていきます。
全長 | 4,930mm |
全幅 | 1,840mm |
全高 | 1,540mm |
🚗トランクの特徴
新型クラウン・クロスオーバーのトランクはこんな感じです。
トランク容量は450Lが確保されており、9.5インチのゴルフバッグならば3個が積載可能な広さです。
実際に載せてみるとみると、こんな感じになります。
写真で見ると大体の広さがわかりますね。
またトランクではないのですが、シートの中央部分が倒れる「トランクスルー機能」が全車に標準装備されています。
ですから長尺物を積むときには、そちらを利用すると便利そうですね。
どうしてもミニバンなどと比べると荷物の積載量が少なくなってしまいますが、新型クラウンにはこんな実用性も備えているのが嬉しいポイントです。
クラウン・スポーツ
こちらもボディサイズから見ていきましょう。
全長 | 4,720mm |
全幅 | 1,880mm |
全高 | 1,565mm |
🚗トランクの特徴
クラウン・スポーツのトランクの容量は397Lと、クロスオーバーに比べると少し小さい印象を受けます。
しかし、クラウン・スポーツにはクロスオーバーにはない機能があるんです。
それはリヤシートが倒れるので、リヤシートを前に倒すと最大1,159Lの荷室容量が確保できます。
拡大された荷室を実際に見てみましょう。
かなり広くなりますね。
では実際にどれくらいの荷物が積めるのかというと、通常時で9.5インチのゴルフバッグが1個、リアシートを倒した状態では最大4個積むことができます。
これくらいの広さがあれば、アウトドアやキャンプも楽しめそうです。
またこちらのクラウン・スポーツは実際にゴルフバッグを積む動画がありましたので、こちらも参考にしてください。
またクロスオーバーは完全に独立したトランクルームなので、トランクを閉めてしまえば中身が見えることはありません。
しかしクラウン・スポーツはリアウィンドウから中が見えてしまいます。
ですが乗せた荷物が見えないよう、標準装備されているトノカバーで隠すことが可能なので万が一、中を覗かれても荷物を見られる心配がありません。
さらに、使わない時はコンパクトに折り畳みが出来て、荷物の出し入れなどの邪魔になることもない...という嬉しい実用性も兼ね備えています。
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カスタムパーツでより高級感アップ!新型クラウンセダンの内装を紹介
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新型クラウントランク寸法は?気になる!荷物の積載量はどのくらい?:まとめ
私が子供の頃、街を走っていた車のほとんどはセダンタイプで、後ろのトランクに荷物を積み込んで出かける時にはワクワクしたものです。
車内で使うものやお菓子など何も考えないでトランクに入れてしまうと、次に停車した時まで取り出すことが出来ずに、不便な思いをしたことを懐かしく思い出します。
そんなセダンタイプの車の中でもクラウンは子供心にも「高くて良い車」とのイメージがありましたし、実際にクラウンに乗っている家はお金持ちだったと思います。
ですが昨今の広い快適な車内空間の波に押されてか、私が子供の頃は主流だったセダンタイプの車を見かけることは少なくなりました。
そんな時代の波の中でも約70年という長きにわたり、高級車としてのシンボルである「クラウン」。
そして初代クラウンが残したもの。
それは「見てくれや快適性に難があるのは仕方ないから、とにかく壊れないでくれ!」と言われた純国産車の価値を「壊れないのは当たり前。デザインや快適性・性能で選ぶ」という域にまで押し上げたことです。
「これくらいで仕方ない」と自信なさげに造るクルマ造りから「これくらいは当然のこと。もっと上を目指そう!」
そんな風に国産車メーカーがデザインや性能・品質の向上を目指す情熱や自信を、競うような文化を作り上げた事ではないでしょうか。
これから先の未来でもきっとずっとクラウンは、国産車を常にリードし続けてくれる道標で居続けて欲しいと思います。